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- 冊子内容紹介(前編)韃靼そばとは?
その内容を紹介いたします。
農学博士 川端習太郎
近年、ダッタンソバは栄養に富むだけではなく、健康維持に役立つ機能性物 質ルチンが多量に含まれていることが明らかになり、その製品が市場に出回っ ているが、ダッタンソバを巡る情報については、必ずしも正確に、かつ十分に は伝わっていないように思われる。 「そこで、平成21年3月に(社)日本蓄麦協会が発行された印刷物「“だった んそば”新需要の創造と産地育成(グランドデザイン)」に寄稿させて頂いた 拙稿をもとに、多少の加筆を行い、ダッタンソバとは、どのような作物か、ど のような食物か、一介のそば愛好家に過ぎない筆者が、浅学非才の身を顧みず、 先学の研究成果をお借りして、多少の補足説明をさせていただくことにした。
1.「ダッタン」とは?
ダッタン(壁)を辞書で調べると、岩波書店の広辞苑第5版(2008)では「モ ンゴル系の一部族タタール(塔塔児)の称。のちモンゴル民族全体の呼称。明 代には北方に逃れた元朝の遺商(北元)に対する明人の呼称。また、南ロシア 一帯に居住したトルコ人も、もとモンゴルの治下にあった関係から、その中に 含めることもある。」と出ている。このように「壁」という言葉のイメージは、 時代によっても変わるようであるが、この辞書の説明の最初に記載されている ように、モンゴル系の一部族タタールの呼称と考えてよいようである。
なお、広辞苑では、第6版で初めて「だったんそば」(壁組蓄麦)の項目が 取り上げられ、「ソバの一品種。中央アジア原産。耐寒性に優れ、中国・ブー タン・ネパールなどの高地で栽培。苦みがあるが、ルチンを豊富に含む。苦蓄麦。」 と説明されている。岩波書店が広辞苑に初めて「韓蕎麦」を取り上げられた ことについては深く敬意を表するところであるが、冒頭の「ソバの一品種」と いう表現は適切でなく、「ソバの一種類」とすべきであり、「中央アジア原産」 は誤りである(後述)。
2.「ダッタンソバの語源と栽培の起源地
「ダッタンソバの語源については、二名法による生物分類学の嚆矢であるス ウェーデンの博物学者リンネ(Carl von Linné、1707~1778)にまで遡るこ とができる。「栽培植物の起源」(1883)を著したドゥ・カンドルは、その著 (加茂儀一訳)の中で、リンネは、それ(ダッタンソバのこと)をダッタンの
原産物として語った最初の人たちの一人であり、ダッタンソバを Polygonum tataricum, Linné と命名して、種名に tataricum(ラテン語で「タタール人の」、 すなわち「ダッタン人の」を意味します。)を使ったことを紹介している。
その後、リンネから時代が少し下がって、タデ科の中にソバ属(Fagopyrum) が設けられ、ダッタンソバの属名は、Polygonum から、Fagopyrumに替わる が、種名 tataricum はそのまま残こされている。すなわち、ドイツの植物学者 のゲルトネル(Carl Friedrich von Gaertner、1772~1850)は、ダッタン バの学名をFagopyrum tataricum (L.) Gaetn. と記載して、種名は、リンネが使っ たものと同じくtataricum を使っている。
ところが、1984年、それまでのわが国におけるソバ研究の集大成として「ソ バの科学」(著者:長友 大)が新潮社から新潮選書として出版され、その中で 「ダッタン種」の学名は「ファゴピルム・タータリクム Fagopyrum tataricum Gaertner」で、1850年に亡くなられたドイツのゲルトネルの命名であると解
説されたことがもとになって、わが国では、ダッタンソバの名前の由来として ゲルトネル説が広まっているが、これは誤りであり訂正が必要である。ここで、 種名tataricumの命名者は、ゲルトネルではなく、リンネであり、ダッタンソ バの語源を辿るとリンネに行き着くことを明確にしておきたいと思う。 「起源地については、これまで多くの推論がなされてきた。リンネが命名した 種名から類推して中央アジア説や中国北部・モンゴル・シベリア・アムール川 流域説、バイカル湖周辺説などが、さらにヒマラヤ・北インド・チベット説が 検討されてきた。ところが20世紀に入って、ロシアの研究者によるシベリア、 アムール川流域の調査が進むにつれ、これらの仮説の正しくないことが明らか になり、その後、中国の研究者らは、ソバ、ダッタンソバの起源については中 国南部説を支持するようになった。
最近(2001年)になって、京都大学の大西近江名誉教授が、ソバおよびダッ タンソバの野生祖先種と考えられるいくつかのソバ属の近縁植物を中国南部の 雲南省とその周辺地域で発見し、それらの類縁関係を形態およびDNAの塩基 配列などを考慮して解析された結果、ソバ、ダッタンソバ、シャクチリソバ(宿 根ソバ)はともに、「中国雲南省の西北部の山岳地域」が栽培の起源地である
と結論づけられ、世界中のソバ研究者がこの結論を支持し定説となっている。
3. ダッタンソバはソバとは別の植物
ダッタンソバとソバは、いずれもタデ科のソバ属に分類される植物であるが、 分類学上の種(しゅ)は異なり、全く別の植物である。ソバはミツバチ等によ る花粉の媒介を必要とする他殖性植物であるに対して、ダッタンソバは自殖性 であり、染色体数はともに2n=16で同数であるが、遺伝的な差が大きいため通 常の方法では両者の雑種は得られない。
なお、ダッタンソバは、苦みがあることから「苦ソバ」とも言われ、ソバは、 これと対比するときに限って「普通ソバ」、あるいは一部では「甘ソバ」とも 言われて区別されている。
4.「ダッタンソバの日本での栽培
ダッタンソバの栽培の起源地がソバと同じ地域にありながら、ソバと同様に 拡がらなかったのは、おそらく、その苦味によるものであろう。しかし、伝播 の時代や経路が多少異なったとしても、ソバの伝播経路(揚子江ルート、モン ゴル・シベリアルート、北方(沿海州)ルート:氏原輝男、2007)に沿って 世界に拡がったものと思われる。ただし、耐寒性の優れたダッタンソバについ ては、シベリアからアムール川流域を経て、サハリン、北海道に入ったルート もその一つとして否定することは出来ないように思われる。
注) サハリン(樺太)には、来歴は必ずしもはっきりしていないが、カラフトニ ガンバと呼ばれるダッタンソバがあり、樺太各地で畑地雑草となっていたよう である。それを戦後、オホーツク海沿岸の酪農家が草地開発用に飼料作物とし て持ち込んだという話も伝わっており、また雑貨とともに北海道に入ったとい う話もあってその経緯ははっきりしないが、いつの頃からか「石そば」と呼ば れて、北海道在来種と位置付けられてきた。この系統は、草丈低く、早熟、小 粒で、収量は低く、現在では栽培もなく、雑草化もせず、種子は遺伝資源として、 北海道農業研究センターで保存されている。
「日本でダッタンソバが初めて文献に登場するのは、「和漢三才図会」(1712) であり、その中にダッタンソバは「苦蕎麦」の名で紹介されている。また日本 でダッタンソバが栽培されていた記録としては、「小石川植物園草本目録」(東 京大学理学部、1877) があり、「苦蕎麦」の文字を見ることができる。
わが国での実用栽培の起源は必ずしも明確ではないが、1986年頃、岩手大 学の笠原順二郎名誉教授がバイカル湖周辺か、あるいは中国(採取地は正確に はわかっていない)から持ち帰られた種子によって、1988年に岩手県九戸郡 軽米町で始まったようである。
一方、北海道では1995年、森清氏(長命庵店主)が、健康食品を中心に取 り扱っていた生活科学研究所の大久保哲郎氏から、おそらく中国産と思われる ダッタンソバを栃木県で増殖したサンプルを1キログラム譲り受け、札幌市西 区西野の畑に播種したのが最初と思われる。その後、この種子を増殖し、厚田、 蘭越、当麻、砂川、八雲方面へと主に森氏の契約栽培として拡がって行った。
現在、北海道での主な栽培地点は、道北の雄武町、当麻町、砂川市、道東の 北見市端野町、十勝の上士幌町、浦幌町、道央の札幌市、由仁町、共和町、胆 振の伊達市、厚真町などで、まとまった産地形成にはいたっていないが、地域 によってはダッタンソバを特産品に仕上げようと、環境にやさしい有機農法が 主流になりつつある。また、耕作放棄地を活用した栽培も進められており注目 されている。
ダッタンソバとソバの作付統計は、ソバとして一つにまとめられており、 ダッタンソバを含めたソバ全体の日本の作付面積は58,200ha、うち北海道は 20,800ha(農林水産省統計、平成27年産)である。このうち、ダッタンソバ の作付面積については、平成26年度農産物検査の等級別収量(農林水産省生 産局農政部、平成27年3月31日)から、ha当たりの収量を高めに換算して北 海道1000kg、県700kgと仮定し推定すると約500ha となる。
「このデータによると、ダッタンソバは、全国6道県で栽培されており、作付面積(単位na)順に示すとの北海道272(全体の64%)、 長野63、 青森 33、新潟、6大分19、6岩手11のようになる。なお、ダッタンソバの作付 面積のソバ全体に占める割合は約1%程度に留まっている。
注1) 世界でのダッタンソバの栽培の現況は、統計資料には上述のように、ソバと
ダッタンソバがまとめて示されているようで、詳しくはわからないが、中国が その大分を占め、その周辺諸国、ロシア、EU諸国、ネパール、ブータン等で主に栽培されている。 注2) 日本全体のダッタンソバの需要量は5000トン程度で、そのすべてを中国南部の四川省、雲南省からの輸入に頼っており、国内自給率は10%程度である。
ダッタンソバは、このように日本で本格的に栽培されるようになってから 日が浅いこともあって、品種改良はようやく緒についたばかりであるが、 最近になって、独立行政法人農研機構 北海道農業研究センターが、旧ソ連 から1978年(昭和53年)に導入したダッタンソバ(Fagopyrum tataricum. sp.rotundatum)を育種素材として、ダッタンソバの国産第1号品種「北海T8号」 を育成し、さらに、「北海T9号」及び「北海T10号」(いずれもスプラウト用 の特殊用途向き品種です)が育成されて、ダッタンソバの育種研究の遺伝的バッ クグラウンドが拡がりを見せている。
この中にあって、2014年に育成された「満天きらり」は、子実のルチン分 解酵素ルチノシダーゼ活性が従来の品種の数百分の一と極めて弱く、世界初の 画期的な品種と言われている。本品種は、麺をはじめ食品製造工程中にルチン が分解して苦味の成分ケルセチンが生成される割合が極めて低いため、苦味の 少ない良食味食品の製造適性に優れ、同時にルチンの残存率が高いため、機能 性も優れており、急速に普及がすすんでいる。
「ダッタンソバの語源については、二名法による生物分類学の嚆矢であるス ウェーデンの博物学者リンネ(Carl von Linné、1707~1778)にまで遡るこ とができる。「栽培植物の起源」(1883)を著したドゥ・カンドルは、その著 (加茂儀一訳)の中で、リンネは、それ(ダッタンソバのこと)をダッタンの
原産物として語った最初の人たちの一人であり、ダッタンソバを Polygonum tataricum, Linné と命名して、種名に tataricum(ラテン語で「タタール人の」、 すなわち「ダッタン人の」を意味します。)を使ったことを紹介している。
その後、リンネから時代が少し下がって、タデ科の中にソバ属(Fagopyrum) が設けられ、ダッタンソバの属名は、Polygonum から、Fagopyrumに替わる が、種名 tataricum はそのまま残こされている。すなわち、ドイツの植物学者 のゲルトネル(Carl Friedrich von Gaertner、1772~1850)は、ダッタン バの学名をFagopyrum tataricum (L.) Gaetn. と記載して、種名は、リンネが使っ たものと同じくtataricum を使っている。
ところが、1984年、それまでのわが国におけるソバ研究の集大成として「ソ バの科学」(著者:長友 大)が新潮社から新潮選書として出版され、その中で 「ダッタン種」の学名は「ファゴピルム・タータリクム Fagopyrum tataricum Gaertner」で、1850年に亡くなられたドイツのゲルトネルの命名であると解
説されたことがもとになって、わが国では、ダッタンソバの名前の由来として ゲルトネル説が広まっているが、これは誤りであり訂正が必要である。ここで、 種名tataricumの命名者は、ゲルトネルではなく、リンネであり、ダッタンソ バの語源を辿るとリンネに行き着くことを明確にしておきたいと思う。 「起源地については、これまで多くの推論がなされてきた。リンネが命名した 種名から類推して中央アジア説や中国北部・モンゴル・シベリア・アムール川 流域説、バイカル湖周辺説などが、さらにヒマラヤ・北インド・チベット説が 検討されてきた。ところが20世紀に入って、ロシアの研究者によるシベリア、 アムール川流域の調査が進むにつれ、これらの仮説の正しくないことが明らか になり、その後、中国の研究者らは、ソバ、ダッタンソバの起源については中 国南部説を支持するようになった。
最近(2001年)になって、京都大学の大西近江名誉教授が、ソバおよびダッ タンソバの野生祖先種と考えられるいくつかのソバ属の近縁植物を中国南部の 雲南省とその周辺地域で発見し、それらの類縁関係を形態およびDNAの塩基 配列などを考慮して解析された結果、ソバ、ダッタンソバ、シャクチリソバ(宿 根ソバ)はともに、「中国雲南省の西北部の山岳地域」が栽培の起源地である
と結論づけられ、世界中のソバ研究者がこの結論を支持し定説となっている。
3. ダッタンソバはソバとは別の植物
ダッタンソバとソバは、いずれもタデ科のソバ属に分類される植物であるが、 分類学上の種(しゅ)は異なり、全く別の植物である。ソバはミツバチ等によ る花粉の媒介を必要とする他殖性植物であるに対して、ダッタンソバは自殖性 であり、染色体数はともに2n=16で同数であるが、遺伝的な差が大きいため通 常の方法では両者の雑種は得られない。
なお、ダッタンソバは、苦みがあることから「苦ソバ」とも言われ、ソバは、 これと対比するときに限って「普通ソバ」、あるいは一部では「甘ソバ」とも 言われて区別されている。
4.「ダッタンソバの日本での栽培
ダッタンソバの栽培の起源地がソバと同じ地域にありながら、ソバと同様に 拡がらなかったのは、おそらく、その苦味によるものであろう。しかし、伝播 の時代や経路が多少異なったとしても、ソバの伝播経路(揚子江ルート、モン ゴル・シベリアルート、北方(沿海州)ルート:氏原輝男、2007)に沿って 世界に拡がったものと思われる。ただし、耐寒性の優れたダッタンソバについ ては、シベリアからアムール川流域を経て、サハリン、北海道に入ったルート もその一つとして否定することは出来ないように思われる。
注) サハリン(樺太)には、来歴は必ずしもはっきりしていないが、カラフトニ ガンバと呼ばれるダッタンソバがあり、樺太各地で畑地雑草となっていたよう である。それを戦後、オホーツク海沿岸の酪農家が草地開発用に飼料作物とし て持ち込んだという話も伝わっており、また雑貨とともに北海道に入ったとい う話もあってその経緯ははっきりしないが、いつの頃からか「石そば」と呼ば れて、北海道在来種と位置付けられてきた。この系統は、草丈低く、早熟、小 粒で、収量は低く、現在では栽培もなく、雑草化もせず、種子は遺伝資源として、 北海道農業研究センターで保存されている。
「日本でダッタンソバが初めて文献に登場するのは、「和漢三才図会」(1712) であり、その中にダッタンソバは「苦蕎麦」の名で紹介されている。また日本 でダッタンソバが栽培されていた記録としては、「小石川植物園草本目録」(東 京大学理学部、1877) があり、「苦蕎麦」の文字を見ることができる。
わが国での実用栽培の起源は必ずしも明確ではないが、1986年頃、岩手大 学の笠原順二郎名誉教授がバイカル湖周辺か、あるいは中国(採取地は正確に はわかっていない)から持ち帰られた種子によって、1988年に岩手県九戸郡 軽米町で始まったようである。
一方、北海道では1995年、森清氏(長命庵店主)が、健康食品を中心に取 り扱っていた生活科学研究所の大久保哲郎氏から、おそらく中国産と思われる ダッタンソバを栃木県で増殖したサンプルを1キログラム譲り受け、札幌市西 区西野の畑に播種したのが最初と思われる。その後、この種子を増殖し、厚田、 蘭越、当麻、砂川、八雲方面へと主に森氏の契約栽培として拡がって行った。
現在、北海道での主な栽培地点は、道北の雄武町、当麻町、砂川市、道東の 北見市端野町、十勝の上士幌町、浦幌町、道央の札幌市、由仁町、共和町、胆 振の伊達市、厚真町などで、まとまった産地形成にはいたっていないが、地域 によってはダッタンソバを特産品に仕上げようと、環境にやさしい有機農法が 主流になりつつある。また、耕作放棄地を活用した栽培も進められており注目 されている。
ダッタンソバとソバの作付統計は、ソバとして一つにまとめられており、 ダッタンソバを含めたソバ全体の日本の作付面積は58,200ha、うち北海道は 20,800ha(農林水産省統計、平成27年産)である。このうち、ダッタンソバ の作付面積については、平成26年度農産物検査の等級別収量(農林水産省生 産局農政部、平成27年3月31日)から、ha当たりの収量を高めに換算して北 海道1000kg、県700kgと仮定し推定すると約500ha となる。
「このデータによると、ダッタンソバは、全国6道県で栽培されており、作付面積(単位na)順に示すとの北海道272(全体の64%)、 長野63、 青森 33、新潟、6大分19、6岩手11のようになる。なお、ダッタンソバの作付 面積のソバ全体に占める割合は約1%程度に留まっている。
注1) 世界でのダッタンソバの栽培の現況は、統計資料には上述のように、ソバと
ダッタンソバがまとめて示されているようで、詳しくはわからないが、中国が その大分を占め、その周辺諸国、ロシア、EU諸国、ネパール、ブータン等で主に栽培されている。 注2) 日本全体のダッタンソバの需要量は5000トン程度で、そのすべてを中国南部の四川省、雲南省からの輸入に頼っており、国内自給率は10%程度である。
ダッタンソバは、このように日本で本格的に栽培されるようになってから 日が浅いこともあって、品種改良はようやく緒についたばかりであるが、 最近になって、独立行政法人農研機構 北海道農業研究センターが、旧ソ連 から1978年(昭和53年)に導入したダッタンソバ(Fagopyrum tataricum. sp.rotundatum)を育種素材として、ダッタンソバの国産第1号品種「北海T8号」 を育成し、さらに、「北海T9号」及び「北海T10号」(いずれもスプラウト用 の特殊用途向き品種です)が育成されて、ダッタンソバの育種研究の遺伝的バッ クグラウンドが拡がりを見せている。
この中にあって、2014年に育成された「満天きらり」は、子実のルチン分 解酵素ルチノシダーゼ活性が従来の品種の数百分の一と極めて弱く、世界初の 画期的な品種と言われている。本品種は、麺をはじめ食品製造工程中にルチン が分解して苦味の成分ケルセチンが生成される割合が極めて低いため、苦味の 少ない良食味食品の製造適性に優れ、同時にルチンの残存率が高いため、機能 性も優れており、急速に普及がすすんでいる。
ダッタンソバとソバは、いずれもタデ科のソバ属に分類される植物であるが、 分類学上の種(しゅ)は異なり、全く別の植物である。ソバはミツバチ等によ る花粉の媒介を必要とする他殖性植物であるに対して、ダッタンソバは自殖性 であり、染色体数はともに2n=16で同数であるが、遺伝的な差が大きいため通 常の方法では両者の雑種は得られない。
なお、ダッタンソバは、苦みがあることから「苦ソバ」とも言われ、ソバは、 これと対比するときに限って「普通ソバ」、あるいは一部では「甘ソバ」とも 言われて区別されている。
4.「ダッタンソバの日本での栽培
ダッタンソバの栽培の起源地がソバと同じ地域にありながら、ソバと同様に 拡がらなかったのは、おそらく、その苦味によるものであろう。しかし、伝播 の時代や経路が多少異なったとしても、ソバの伝播経路(揚子江ルート、モン ゴル・シベリアルート、北方(沿海州)ルート:氏原輝男、2007)に沿って 世界に拡がったものと思われる。ただし、耐寒性の優れたダッタンソバについ ては、シベリアからアムール川流域を経て、サハリン、北海道に入ったルート もその一つとして否定することは出来ないように思われる。
注) サハリン(樺太)には、来歴は必ずしもはっきりしていないが、カラフトニ ガンバと呼ばれるダッタンソバがあり、樺太各地で畑地雑草となっていたよう である。それを戦後、オホーツク海沿岸の酪農家が草地開発用に飼料作物とし て持ち込んだという話も伝わっており、また雑貨とともに北海道に入ったとい う話もあってその経緯ははっきりしないが、いつの頃からか「石そば」と呼ば れて、北海道在来種と位置付けられてきた。この系統は、草丈低く、早熟、小 粒で、収量は低く、現在では栽培もなく、雑草化もせず、種子は遺伝資源として、 北海道農業研究センターで保存されている。
「日本でダッタンソバが初めて文献に登場するのは、「和漢三才図会」(1712) であり、その中にダッタンソバは「苦蕎麦」の名で紹介されている。また日本 でダッタンソバが栽培されていた記録としては、「小石川植物園草本目録」(東 京大学理学部、1877) があり、「苦蕎麦」の文字を見ることができる。
わが国での実用栽培の起源は必ずしも明確ではないが、1986年頃、岩手大 学の笠原順二郎名誉教授がバイカル湖周辺か、あるいは中国(採取地は正確に はわかっていない)から持ち帰られた種子によって、1988年に岩手県九戸郡 軽米町で始まったようである。
一方、北海道では1995年、森清氏(長命庵店主)が、健康食品を中心に取 り扱っていた生活科学研究所の大久保哲郎氏から、おそらく中国産と思われる ダッタンソバを栃木県で増殖したサンプルを1キログラム譲り受け、札幌市西 区西野の畑に播種したのが最初と思われる。その後、この種子を増殖し、厚田、 蘭越、当麻、砂川、八雲方面へと主に森氏の契約栽培として拡がって行った。
現在、北海道での主な栽培地点は、道北の雄武町、当麻町、砂川市、道東の 北見市端野町、十勝の上士幌町、浦幌町、道央の札幌市、由仁町、共和町、胆 振の伊達市、厚真町などで、まとまった産地形成にはいたっていないが、地域 によってはダッタンソバを特産品に仕上げようと、環境にやさしい有機農法が 主流になりつつある。また、耕作放棄地を活用した栽培も進められており注目 されている。
ダッタンソバとソバの作付統計は、ソバとして一つにまとめられており、 ダッタンソバを含めたソバ全体の日本の作付面積は58,200ha、うち北海道は 20,800ha(農林水産省統計、平成27年産)である。このうち、ダッタンソバ の作付面積については、平成26年度農産物検査の等級別収量(農林水産省生 産局農政部、平成27年3月31日)から、ha当たりの収量を高めに換算して北 海道1000kg、県700kgと仮定し推定すると約500ha となる。
「このデータによると、ダッタンソバは、全国6道県で栽培されており、作付面積(単位na)順に示すとの北海道272(全体の64%)、 長野63、 青森 33、新潟、6大分19、6岩手11のようになる。なお、ダッタンソバの作付 面積のソバ全体に占める割合は約1%程度に留まっている。
注1) 世界でのダッタンソバの栽培の現況は、統計資料には上述のように、ソバと
ダッタンソバがまとめて示されているようで、詳しくはわからないが、中国が その大分を占め、その周辺諸国、ロシア、EU諸国、ネパール、ブータン等で主に栽培されている。 注2) 日本全体のダッタンソバの需要量は5000トン程度で、そのすべてを中国南部の四川省、雲南省からの輸入に頼っており、国内自給率は10%程度である。
ダッタンソバは、このように日本で本格的に栽培されるようになってから 日が浅いこともあって、品種改良はようやく緒についたばかりであるが、 最近になって、独立行政法人農研機構 北海道農業研究センターが、旧ソ連 から1978年(昭和53年)に導入したダッタンソバ(Fagopyrum tataricum. sp.rotundatum)を育種素材として、ダッタンソバの国産第1号品種「北海T8号」 を育成し、さらに、「北海T9号」及び「北海T10号」(いずれもスプラウト用 の特殊用途向き品種です)が育成されて、ダッタンソバの育種研究の遺伝的バッ クグラウンドが拡がりを見せている。
この中にあって、2014年に育成された「満天きらり」は、子実のルチン分 解酵素ルチノシダーゼ活性が従来の品種の数百分の一と極めて弱く、世界初の 画期的な品種と言われている。本品種は、麺をはじめ食品製造工程中にルチン が分解して苦味の成分ケルセチンが生成される割合が極めて低いため、苦味の 少ない良食味食品の製造適性に優れ、同時にルチンの残存率が高いため、機能 性も優れており、急速に普及がすすんでいる。
ダッタンソバの栽培の起源地がソバと同じ地域にありながら、ソバと同様に 拡がらなかったのは、おそらく、その苦味によるものであろう。しかし、伝播 の時代や経路が多少異なったとしても、ソバの伝播経路(揚子江ルート、モン ゴル・シベリアルート、北方(沿海州)ルート:氏原輝男、2007)に沿って 世界に拡がったものと思われる。ただし、耐寒性の優れたダッタンソバについ ては、シベリアからアムール川流域を経て、サハリン、北海道に入ったルート もその一つとして否定することは出来ないように思われる。
注) サハリン(樺太)には、来歴は必ずしもはっきりしていないが、カラフトニ ガンバと呼ばれるダッタンソバがあり、樺太各地で畑地雑草となっていたよう である。それを戦後、オホーツク海沿岸の酪農家が草地開発用に飼料作物とし て持ち込んだという話も伝わっており、また雑貨とともに北海道に入ったとい う話もあってその経緯ははっきりしないが、いつの頃からか「石そば」と呼ば れて、北海道在来種と位置付けられてきた。この系統は、草丈低く、早熟、小 粒で、収量は低く、現在では栽培もなく、雑草化もせず、種子は遺伝資源として、 北海道農業研究センターで保存されている。
「日本でダッタンソバが初めて文献に登場するのは、「和漢三才図会」(1712) であり、その中にダッタンソバは「苦蕎麦」の名で紹介されている。また日本 でダッタンソバが栽培されていた記録としては、「小石川植物園草本目録」(東 京大学理学部、1877) があり、「苦蕎麦」の文字を見ることができる。
わが国での実用栽培の起源は必ずしも明確ではないが、1986年頃、岩手大 学の笠原順二郎名誉教授がバイカル湖周辺か、あるいは中国(採取地は正確に はわかっていない)から持ち帰られた種子によって、1988年に岩手県九戸郡 軽米町で始まったようである。
一方、北海道では1995年、森清氏(長命庵店主)が、健康食品を中心に取 り扱っていた生活科学研究所の大久保哲郎氏から、おそらく中国産と思われる ダッタンソバを栃木県で増殖したサンプルを1キログラム譲り受け、札幌市西 区西野の畑に播種したのが最初と思われる。その後、この種子を増殖し、厚田、 蘭越、当麻、砂川、八雲方面へと主に森氏の契約栽培として拡がって行った。
現在、北海道での主な栽培地点は、道北の雄武町、当麻町、砂川市、道東の 北見市端野町、十勝の上士幌町、浦幌町、道央の札幌市、由仁町、共和町、胆 振の伊達市、厚真町などで、まとまった産地形成にはいたっていないが、地域 によってはダッタンソバを特産品に仕上げようと、環境にやさしい有機農法が 主流になりつつある。また、耕作放棄地を活用した栽培も進められており注目 されている。
ダッタンソバとソバの作付統計は、ソバとして一つにまとめられており、 ダッタンソバを含めたソバ全体の日本の作付面積は58,200ha、うち北海道は 20,800ha(農林水産省統計、平成27年産)である。このうち、ダッタンソバ の作付面積については、平成26年度農産物検査の等級別収量(農林水産省生 産局農政部、平成27年3月31日)から、ha当たりの収量を高めに換算して北 海道1000kg、県700kgと仮定し推定すると約500ha となる。
「このデータによると、ダッタンソバは、全国6道県で栽培されており、作付面積(単位na)順に示すとの北海道272(全体の64%)、 長野63、 青森 33、新潟、6大分19、6岩手11のようになる。なお、ダッタンソバの作付 面積のソバ全体に占める割合は約1%程度に留まっている。
注1) 世界でのダッタンソバの栽培の現況は、統計資料には上述のように、ソバと
ダッタンソバがまとめて示されているようで、詳しくはわからないが、中国が その大分を占め、その周辺諸国、ロシア、EU諸国、ネパール、ブータン等で主に栽培されている。 注2) 日本全体のダッタンソバの需要量は5000トン程度で、そのすべてを中国南部の四川省、雲南省からの輸入に頼っており、国内自給率は10%程度である。
ダッタンソバは、このように日本で本格的に栽培されるようになってから 日が浅いこともあって、品種改良はようやく緒についたばかりであるが、 最近になって、独立行政法人農研機構 北海道農業研究センターが、旧ソ連 から1978年(昭和53年)に導入したダッタンソバ(Fagopyrum tataricum. sp.rotundatum)を育種素材として、ダッタンソバの国産第1号品種「北海T8号」 を育成し、さらに、「北海T9号」及び「北海T10号」(いずれもスプラウト用 の特殊用途向き品種です)が育成されて、ダッタンソバの育種研究の遺伝的バッ クグラウンドが拡がりを見せている。
この中にあって、2014年に育成された「満天きらり」は、子実のルチン分 解酵素ルチノシダーゼ活性が従来の品種の数百分の一と極めて弱く、世界初の 画期的な品種と言われている。本品種は、麺をはじめ食品製造工程中にルチン が分解して苦味の成分ケルセチンが生成される割合が極めて低いため、苦味の 少ない良食味食品の製造適性に優れ、同時にルチンの残存率が高いため、機能 性も優れており、急速に普及がすすんでいる。
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